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藤の屋文具店

藤の屋文具店

二枚舌




   【二枚舌】 Ver2.0


生命、それは時としておおいなる奇跡をひきおこす。われわれが
当然のように思って気にとめないこの身体だって、科学で解明でき
ない多くの謎が、知らないところでひっそりと、休みなく働き続け
ているのである。
 何千万もの細胞、無数の酵素、あらゆる種類の微量の元素、それ
らは目に見えぬ力にあやつられ、死滅していく細胞と新しくうまれ
る細胞をたくみに置き換え、身体を維持する。われわれのこの肉体
は、ひとつの独立した個体というよりむしろ、絶えることのない水
の流れによってそこに在り続ける、川のようなものなのかも知れな
い。
 川はいつもそこに在るが、決して変わらぬわけでもない。川を支
える大地の変化、川に注ぐ水のうつろい、川を利用する幾多のもの
たち、それら外部のものに、ときには逆らい、ときには受け入れ、
川は姿を変えては流れ続ける。とうとうと、とうとうと・・・・


               ●


それは突然起こった。ある日、何の前触れもなく、世界中の国の
すべての人の上に、同時に起こった。ある者は神のなせるわざだと
誇り、ある者は悪魔のいたずらだと恐れた。おおくのものたちは、
ひたすらあわて、自分たちの神に祈った。
 生物の進化は、環境がそれを求めたときに起こるという説がある。
ならば、この変化はまさに起こるべくして起こったのであろう。人
が何を望もうと、何を考えようと、まさしく世界は、それを望んで
いたに違いないのだから。

20世紀後半から世界中に巻き起こった、環境保護運動の嵐、そ
れは、無知な、いや、巧妙なマスコミの振りかざす建て前によって、
大衆を苦しめた。広告料収入のために、たった一度しか使用されな
い紙を大量に毎日消費する大新聞、さして必要でもない商品の購買
意欲をかき立てるための広告をまき散らす、まさに地球の緑を食い
散らす化け物は、つつましく与えられる生活を受け入れていただけ
の大衆の心に、深い罪悪感を植え付けた。
 箸箱を持ち歩く主婦は、自分が結果的に魔女狩りに荷担している
ことを知らない。精神論は、いつの時代も強いものたちの詭弁であ
る。 大企業は、怪しげな能書きを並べ立てて環境保護を売り物にし、
消費者は、新聞広告を見て、訳もわからずに割高な商品を購入した。
 「再生」という心地よい免罪符を手にいれ、いつのまにか優等生
に化けた紙パックたちは、ガラス容器を駆逐してうなぎのぼりに生
産量を増やした。地球の緑を守るというなら、木を、紙を、使わな
い事しかないのにだ。あほぅでもわかる事に目をつむって、人々は
森を食いつぶし続けた。ほかにもまだ、生活にはどうしても捨てら
れないものがあるからだ。

そしてある日、変化が起きた。


               ●


「グゥゥゥゥエェェェッッッッッッブフゥォォオゥッ」

 喉の奥から、絞り出すというよりは爆発しそうな勢いで、大量の
ガスが吹き出してきた。夢うつつのまま、めくれ上がった唇を舌で
湿した。どうしたのだ、口の中の感触がおかしい。そうだ、歯が一
本もないのだ。いや、歯茎さえない。口の中は節操もなくふにゃふ
にゃとした感覚があるだけなのである。口をあけてみようとしてさ
らに驚いた。顎もないのだ。唇だけがぎゅっとすぼまったまま、顎
も歯もない肉饅のへそのようになった俺の口の内側を、舌が必死に
まさぐっていた。
 すっ、と、舌が外にでた。口の回りをそっと嘗めてみる。おもい
っきり伸ばした舌先に、じょりっと髭の感触があった。おかしいぞ。
俺は髭など生やしていない。心理学の本に書いてあったが、髭なん
か生やしたがる男は、大人になりきれない甘ったれと決まっている
からだ。俺は、そういうガキみたいな男が大嫌いなのだ。望みもし
ない髭が一晩で生えてもらっちゃこまる、と思いながら右手で口元
を探ってみた。

 なんだ、夢か。だいじょうぶ、歯だってちゃんとあった。それに
してもリアルな夢だ。いまでも舌の先に感触が残っている。歯の抜
ける夢は体調の悪い時だという話を思いだした。まだ外は暗い、も
うひと眠りするか。


               ●


 真っ白な朝の光が、寝室の窓から射し込む。

今日は日曜日だ、恋人がくる日だ。浮き浮きと目覚めた俺は、洗
面所で歯を磨く。歯磨き粉は小指の爪ほどで良い、せっせと磨いた
あと口をゆすぎ、口の中に残ったやつをもう一度ブラシでしごき出
す。仕上げにもう一度口をゆすぐ。こうすればコーヒーの味が変わ
らないのだ。
 キリマンジャロとマンデリンとモカを大ざっぱに混ぜて、ミルで
挽く。コーヒーメーカーにセットして、そのあいだにベーコンを炒
める。カリカリになるまで炒めたベーコンを、フライパンの汁ごと
トーストにのっける。TVは朝のニュース。アナウンサーが、分か
ったような顔をして難しい事を話している。コーヒーを注ぐ。ガラ
スポットをつたったやつが、銀色のヒーターに触れてジジッと焦げ
をつくる。二杯目のコーヒーを飲みながら朝刊を読んでいると、便
意をもよおしてきた。

 薄手のクルマ雑誌をつまんでトイレに腰掛ける。ほぉー、サーブ
ソネットが150万かぁー、ふんふん、うわははは、ケンメリの改
造車が200万だと! おぅおぅ、ビートルのキットカーが450
万で出とるわ。こいつら、自分がそんな値段見たら、買う気もおき
んじゃろが。ほんとにどもならんやっちゃなー、おかしくて腹にち
からがはいらんわ・・・おっ、きたきたきたっ・・・うぅぅぅうー
ーん、うぅぅうんっ!

「ホワッ!」

ん? な、なんか変な感触! 肛門のあたりの感触がいつもと違
うぞ。げろをする時の感触に似たものが、不思議なところから感じ
られる。ぎょっとして紙で拭いてみる・・・・・おかしい、何にも
付かない。そこまでかんからかんではなかったぞ。ちっとは色がつ
くはずではないか、おい。
 ぎうぎう押しつけてみたら、何かが指先に触った。げ、これはひ
ょっとして、あの恐ろしい病気か? 尻から血を吹き出す病気なん
て嫌だぜ、みっともないったらありゃしない。あせって「それ」を
さがすが、なかなか触れない。たしかこのへんだと思うところには
すでに無かった。たまたまめくれあがっていただけかと安心したと
たん、もう一度「それ」が触れた。

「げ!」

 動いている。イボでもデキモノでもなかった。それは間違いなく
生きていたのだ。おぞましさで、一瞬アタマが真っ白になった。俺
は、ああいう種類の虫は苦手なのだ。図鑑の写真を見ただけでも、
全身が鳥になるくらいぞっとする。蒼白な顔でトイレをでてから、
俺はしばらく悩み続けた。だが、男には、どんなにつらい事でも我
慢してやらねばならぬ事がある。俺は、勇気を奮い起こして立ち上
がった。対処法は知っている。キッチンで割り箸とポリ袋を取って
きた。洗面器に熱湯を満たす。さあ、これで準備はととのった。
 朝日の射し込む広い廊下にしゃがみ込んで、俺はよつんばいにな
って尻を窓の方に向けた。美保子のために置いてある手鏡で、尻を
のぞき込む。自分では滅多に見ることのない光景に、一瞬見とれて
しまった。げーっ。こんなとこを誰かに見られたら情けない。さっ
さと処理しよう。
 右手の割り箸を、肛門のあたりにスタンバイさせ、「ふぅんっ!」
と気張った。イソギンチャクのように肛門が裏返って開く。綺麗な
ピンク色だ。なぜか、少し誇らしい気持ちになる。変態の気持ちが
少しわかるぞ。いかんいかん、こんな事をしている場合ではない。
目を凝らしてさらに気張る。腰のあたりに意識を集中したとたん、
肛門から何かがすぅっと出てきた。

「ひ、ひぇぇぇぇぇぇーっ!!! 」

 し、舌だ! 舌が肛門から生えている。ピンク色の見慣れた舌が、
全然見慣れていないところからにゅっと生えて舌なめずりしている。
 廊下によつんばいになって割り箸を持ち、左手に手鏡を持って肛
門を眺めたまま、俺は夢中で舌を動かしてみた。

「お、動く、動くぞー!」

 わりと簡単に、舌は動いた。どうも、舌の動きには2種類あるよ
うだ。ひとつは無意識の動きで、瞬きでもするみたいに肛門の回り
をぺろぺろとなめ回しては綺麗にする。嘗めとった汚れは、直腸内
のヒダにでもなすりつけてくるのか、出たり入ったり忙しく動く。
 意識を集中させると、何とか思った通りに動いた。俺は、ある考
えが閃いて、舌をおもいっきり前の方へ伸ばしてみた。わりといい
とこまで届くのだが、もうちょっとが短い。くそ。伸ばしすぎて舌
の付け根がだるくなってきた。

「ぴんぽぉーん!」

 いけねぇ、美保子だ。こんな格好を見られたら大変だ。小説のネ
タにされてしまう。しっかりと握りしめていた割り箸を放り出して、
いそいでパンツをたくし上げる。

「・・・おはよう」

妙に元気がない、なにか心配事があるような表情だ。

「・・・ねぇ、あたしの事愛してる?」
「あ、ああ、もちろんだよ、もちろんだとも!」
「・・あたしがどんな姿になっても、嫌いになったりしなぁい?」
「うん、歳をとっても、でぶになっても、たとえ肛門に舌が生えた
りしてても大好きだよ!」

げっ、口が滑った!
しかし、いつもの美保子なら眉をひそめて睨むのに、なぜか真剣
に俺を見る。

「ね、ひょっとして、」
「ん?」
「あなたも、その、アレが生えてるの?」

俺達はお互いに顔を見合わせてうなずき合った。短い沈黙、探る
ように目の奥を覗きあう。

「ぷるるるるる、ぷるるるるる」

 玄関脇の電話が鳴った。

「はい、島田です」
「もしもし、あ、あたし、真理子!」
「おぅ、なんだ?」
「ねー、変なもん生えてきただろー!」
「・・・・・・・・」
「あっはっは、わたしもびっくりしたけどさー、トイレットペーパ
ーいらないしさ、女はいろいろと便利な使い方あるんだよねー、だ
んなも喜んでるし、うっふふふ」

あぁそうか! そういう使い方があったんだ、おい美保子!
俺はそそくさと電話を切って、ベッドへ入った。

ここから先は書けねーや!


{了}




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